金が創り出した化学 第2回錬金術師ニュートン:科学を生んだ男の影の顔

金の歴史

「万有引力の法則」や「プリズムの光の分解実験」――私たちが知るアイザック・ニュートンは、近代科学の象徴的な存在です。
しかし、その知的遺産の中に“もう一つの顔”があることは、あまり知られていません。

1. ニュートンに“影の顔”があった?

彼が生涯をかけて書き残した膨大な文書の中には、錬金術に関するものが数多く含まれていました。
一見すると非科学的なこの探究。しかし当時、錬金術(chymistry)は単なる迷信ではなく、物質の本質を理解しようとする本格的な知的営みだったのです。

この記事では、「科学の父」と呼ばれるニュートンが、なぜ錬金術にのめり込んだのか。
そして、彼の光学研究との意外な共通点を通して、17世紀における“科学”と“神秘”のあいだの曖昧な境界線を探っていきます。

2. 錬金術とは何だったのか?

現代の私たちにとって、錬金術といえば「鉛を金に変える魔法のようなもの」「中世のオカルト」といったイメージが浮かぶかもしれません。
しかし、ニュートンが生きた17世紀、錬金術(chymistry)とは“自然の本質を探究する学問”として、れっきとした知的分野の一つでした。

とりわけ当時の錬金術は、次の3つの柱から成っていました。


■ 化学技術としての錬金術

染料や顔料の製造、蒸留による抽出、鉱酸や合金の生成など、今でいう“応用化学”に近い技術は錬金術の一分野でした。
錬金術師たちはラボを構え、蒸留器やるつぼを駆使し、物質を変化させる実験を繰り返していたのです。


■ 医療化学としての錬金術(イアトロケミー)

当時は「病気とは体内の化学的不均衡である」と考えられており、鉱物や金属をベースにした薬の開発も錬金術の重要な役割でした。
実際に「命の霊薬(Elixir of Life)」や、特定の金属を溶かして作る治療薬が真剣に研究されていました。


■ 金属変換としての錬金術(クリソポイア)

いわゆる「鉛を金に変える」という試み。
これは単なる金儲けの手段ではなく、物質の根本的な変化、“自然界の秘められた秩序”への挑戦だったのです。
そしてその鍵を握るのが、伝説の物質「賢者の石(Philosopher’s Stone)」でした。


ニュートンは、このすべての分野に深い関心を示しており、錬金術を通じて自然そのものの「背後にある原理」を探ろうとしていたことが、残された膨大な手稿から読み取れます。

3. ニュートンの錬金術研究の実態

現存するニュートンの手稿のうち、およそ100万語以上が錬金術に関する内容で占められていることをご存じでしょうか?
その量は、彼の有名な物理・数学の著作よりも多いとすら言われています。

彼の錬金術研究は、単なる好奇心ではなく、執念とも言えるレベルの深さを持っていました。


■ 秘密主義と暗号の文体

ニュートンの錬金術ノートには、当時の他の錬金術師と同様、難解な比喩やラテン語、記号が多用されています。
これは、知識の秘匿(occult knowledge)という当時の錬金術の伝統に従ったものです。

たとえば彼は、「賢者の石」や「第一物質(Materia Prima)」などの概念を追い求めながら、それを神の摂理や宇宙の秩序と結びつけて理解しようとしていた形跡があります。


■ 遺された手稿の内容

インディアナ大学が公開している『The Chymistry of Isaac Newton』プロジェクトによれば、ニュートンの手稿には以下のようなテーマが見られます:

  • 錬金術書の写本(他の著者による錬金術のテキストを手書きで書き写したもの)
  • 錬金術的な元素(特に水銀、アンチモン)に関する実験記録
  • 物質の変化や合成に関する理論的考察
  • 錬金術的用語や物質の索引(Index Chemicus)

これらはすべて、「神が創った自然の設計図を読み解く」という目的のもとに記されています。


■ 宗教と錬金術の結びつき

ニュートンは深い信仰心を持っており、三位一体説を否定するなどの独自の宗教観を持っていました。
彼にとって錬金術は、「金儲け」ではなく、神が物質に与えた法則を理解するための神聖な行為だったのです。

このように、錬金術はニュートンの科学的探究の“裏面”ではなく、“もう一つの表現”だったと言っても過言ではありません。


4. 光学との共通性:錬金術が科学に与えた影響

ニュートンの偉業のひとつに、「白色光は様々な色の光から構成されている」という光学理論の確立があります。
彼はプリズムを使って白色光をスペクトルに分解し、再び集光することで元の白色光に戻せることを示しました。

この実験は、一見すると近代物理学的な業績に見えますが、その根底には錬金術的な発想が潜んでいたと考えられています。


■ ボイルからの影響:分析と合成の思想

ニュートンが影響を受けたロバート・ボイル(1627–1691)は、「物質は基本的な要素の集合であり、それを分析・合成することで本質に迫れる」と考えていました。
この考え方は、錬金術的な思考そのものであり、物質の性質を「分けて」「組み立てる」ことで理解するというアプローチです。

ニュートンの光学実験は、まさにこの思想の光バージョンでした。

  • 分析(分解):白色光 → 各色光(スペクトル)
  • 合成(再構成):スペクトル → 白色光

まるで鉛を分解して金の要素を抽出し、再び理想的な物質を作るかのように、光の中に“構成要素”を見出し、それを自在に扱う発想は、錬金術と地続きです。


■ 用語の共通性にも注目

ニュートンは「光を構成する粒子は“decompounded(分解された)”ものであり、それを“compounded(合成すれば)”再び白に戻る」と記しています。
これらの用語は、当時の化学・錬金術文献で頻出する表現でもあり、光=物質の一形態として扱われていたことがうかがえます。


■ 科学と錬金術の“境界がなかった時代”

現代の感覚で「錬金術=非科学」と線引きしてしまうのは、当時の知の世界にとって不自然な見方です。
ニュートンにとって、光の秘密を解き明かすことも、金属を変成させることも、“神が創り出した自然の秩序”を読み解く行為でした。

彼の研究は、錬金術から近代科学への橋渡しであり、「科学」と「神秘」が共存していた時代の象徴なのです。

5. なぜニュートンは金を求めたのか

「鉛を金に変える」――現代の感覚では、ただの夢物語に聞こえるかもしれません。
しかしニュートンにとって、金とは“価値ある金属”である以上に、自然界の究極の秩序や完成形を象徴する存在でした。


■ 金は「完成された物質」だった

錬金術では、金は単なる貴金属ではなく、自然が到達する最も純粋で完璧な形とみなされていました。
すべての金属は成熟の過程にあり、時間と精製を経て最終的に“金”になる――そんな思想があったのです。

ニュートンは、この考えを単なる比喩ではなく、物質の変化が持つ本質的な法則と捉えていました。
だからこそ彼は、化学的な実験を通じて、「物質の背後にある秩序」に迫ろうとしていたのです。


■ 宗教と探究の融合

ニュートンの錬金術研究には、深い宗教的な動機もありました。
彼は熱心なキリスト教徒でありながら、当時の正統派神学とは一線を画す独自の世界観を持っていました。

錬金術によって賢者の石を生み出し、万物を変容させる力を理解することは、神の創造の設計図を読み解くことに他ならなかったのです。
彼にとって金を作ることは、「神の意図をなぞる行為」であり、真理の再構成という知的使命だったのでしょう。


■ 金を“手に入れる”のではなく、“理解する”こと

ニュートンは、錬金術を富の手段としては扱っていません。
彼が求めていたのは、金そのものよりも、**金が象徴する“完成された自然の秘密”**だったのです。

だからこそ彼は、秘密の文書を読み、実験を重ね、誰にも見せないノートにひたすら書き留め続けました。
その姿は、まさに科学と神秘のあいだを彷徨う、孤高の探究者だったと言えるでしょう。

6. 結び:科学と神秘のはざまにいた天才

アイザック・ニュートン。
私たちはこの名を、「近代科学の父」として記憶しています。
しかし、その背後には、神秘思想と実験科学がまだ分かち難く結びついていた時代に生きた、一人の探究者の姿が浮かび上がります。

彼が夢中になって追い求めた「金を作る」という行為は、決して単なる錬金術的な空想ではありませんでした。
それは、自然界の完成された秩序=“金”という物質を作ることで、宇宙の法則そのものを理解しようとする、壮大な知的挑戦だったのです。


科学と錬金術の“狭間”にこそ可能性があった

現代においては、「科学」と「非科学」は明確に線引きされ、
錬金術はしばしば否定的な歴史として語られがちです。

しかし、ニュートンのような時代の知識人にとっては、自然を理解するあらゆる手段は、分け隔てなく“知”の対象でした。
その柔軟で、時に直感的で、そして宗教的ですらある知のあり方が、やがて物理学や化学へと進化していったのです。


金が生んだもう一つの科学

ニュートンの錬金術研究は、失敗や誤解に満ちていたかもしれません。
けれどその背後にあった執念と発想は、確かに新しい科学を生むための土壌となりました。

そう考えると、「金を作る」という夢は、けっして空想の産物ではなく、
科学そのものを作り出す源泉」だったのではないでしょうか。


この連載「金が創り出した科学」では、今後もこうした“金”にまつわる人類の知的冒険を掘り下げていきます。
次回もぜひ、お楽しみに。

連載「金が創り出した科学」
この記事は第2回です。
▶︎ 第1回 化学は“金”から始まった

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